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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年10月05日

「昭和を歌うpartⅡ」にみる「人のつながり」



今年の6月28日、しが県民芸術創造館では

「昭和を歌う partⅡ」という、

歌声喫茶の豪華版のようなコンサートがあった。


昨年に引き続き、2回目であるが、

前回も今回も、

チケットが100枚以上足りないぐらいの満員となった。

入場料は500円。3時間ぐらいの内容。



昭和の名曲を

創造館スペシャルバンドや、

スペシャルコーラスチーム、

ギターセッションのチーム、

県下の「よし笛協会合同チーム」などが演奏し、

寸劇やコント、バレエ団のダンスなどが、

この日のためにオリジナルの演出で行われる。

もちろん、

観客も大きな声で歌う。



最後には、「川の流れのように」を

出演者と会場が一体となって

800人のコーラスとなる。


1度来たら、絶対来年も来たくなる内容なのだ。



で、なぜこんなことが可能か?

スペシャルバンドも、スペシャルコーラスも、

バレエチームも、よし笛のチームも

それぞれが寄り合い所帯であったりするのだが、

創造館でつながった「輪(和)」の中にある。

ネットワークにつながって集まり、

協力してできたのである。


それぞれのメンバーは、

湖北や湖東、湖西、湖南、甲賀と、

県内全域から参加されている。

もちろん、MCの担当者もプロではない。

創造館を介しての仲間である。



かく言う私も、

昨年は「観客」であったが。

今年は 妻と共に「出演者」となったのである。


文化の「発信」や「広がり」、「つながり」を

観客も一体となって実感できる、素晴らしい催しであった。


ここ(創造館)あればこそなのである。  


Posted by 存続願人 at 15:13Comments(0)

2009年10月05日

天 ・地 ・ 人


びわ湖ホールは、国の宝

創造館は、滋賀の宝



びわ湖ホールは、芸術劇場

創造館は、県民芸術創造の場



それぞれに違いがあります。



経済的な理由で廃止をしなければならないのなら、

当然、滋賀として多くの県民が

安価に気軽に利用できて、

さまざまな活動を「一から生み出す」ことができる場所を

残すべきであろう。



世界レベルのオペラやバレエ、演劇を鑑賞できる

びわ湖ホールは、ロールスロイスのような存在。

県民にとって誇りである。


創造館は、創作ミュージカルや、アートスクール、子どもフェスタ、

昭和を歌うコンサートなど、身近だけれど、本格的な芸術創造が行われている。

車にたとえると、家族みんなを乗せられるミニバンのような存在。


今、手放すのなら、贅沢なロールスロイスかミニバンか?



また、


びわ湖ホールに創造館の機能(ソフト)を吸収させることはできるのだろうか?

びわ湖ホールの役割は、ハイエンドをベースに施設も組織もできている。


だから、創造館と大きさの同じような中ホールでさえ、

ホールの利用料金は4倍ぐらいかかるし、

駐車場はホールの利用者ですら、1時間あたり210円が必要である。



昨年の「県民創作ミュージカル」は、

創造館のリハーサル室を会場として、

毎週土日に5時間以上の練習を重ね、

延べ300時間近い練習をこなした。

ボランティアスタッフが、夜中まで大道具つくりをし、

衣装は、近隣の神社にある「新宮会館」の1室に

数台のミシンを運び込み、

地元(野路町)の理解と協力があって、

ボランティアの熱意とすごい結束があって作られた。

全ての衣装100着以上を作っても、

材料として使われたのは、30万円ほどだったと聞く。

だが、

そんな場所が、ほかにあるだろうか?

びわ湖ホールに創造館の機能を移したからといって、

そんなことが可能だろうか?


言うまでもない。不可能である。

無料の駐車場や、

リハーサル室や、

地元の新宮会館など

さまざまな条件がみごとに溶け合ってこそ

可能になったのであり、


それらをコーディネートし、

つなぐことができる「人」が居たからできたのである。



まさに

「天の時」「地の利」「人の和(輪)」とは、

創造館のためにあるような言葉だ。



世話人  檀原弘行  


Posted by 存続願人 at 14:41Comments(0)

2009年10月05日

「里山」を守るごとくに


創造館は、「里山」のようなところである。


人を育てる「田圃」として位置づけることもできるだろう。

現に、「育てる場」があり、

「育てる苗」があり、

「育てる人」が居て、

そして「大きく実り」を作っている。

その実りは、「一粒の種」となり、

それが、なんども繰り返されている。

「一粒の種」は、万倍の実りになっていく。


また、


里山にある「野の池」でもある。

雨水や流れ込んだ水が溜まる。

そして、農業に必要な水が蓄えられる。

そこでは、数多くの命のつながりも

動物、植物を問わず、ひろがる。

最近、その池を埋め立てることが多いが、

ポンプに頼らず、祖先が米作りや畑を維持できたのは、

「野の池」があればこそ。

多くの命が育ち、

人の子どもも、そこで、「命のありのままの姿」を学んできた。


またそれが必要になることもあるだろうに・・・。

一度壊されたものは、簡単に戻すことはできない。



創造館は、滋賀県民にとっての「田んぼ」であり「野の池」である。

お金の価値に置き換えることはできない大切なものなのだ。




世話人 檀原弘行  


Posted by 存続願人 at 13:59Comments(0)